2017年05月18日

クラブユース惨敗後

まだ、正直、私は悔しさが抜けないが、どこかですっきりしたい。

今の3年がU13リーグの時に同じ相手に厳しい接戦を制し、素晴らしい戦いをして勝利した。
あれ以来、今回のクラブユースで同じ相手と戦うことになった。

結果は惨敗。

U13リーグから自分達が3年生になって迎えたクラブユースになるまでの間、同じ相手と我々が
どれだけの成長をしたのか?しっかり見れる機会だったと思う。

結果的には「相手の方が格段に成長してこちらは成長していないのでは?」という
意見も出てしまうと思う。事実、あんな負け方をしたからね。

しかし、どうだろう?空白の1年間から更に本日までのチーム状況を反省材料にした時、
まず何をしなくてはならないかを振り返る必要性があるね。
3年中心に物事とを考えるのであれば。

今更、試合のことを蒸し返してもしょうがない。サッカー云々の問題、戦術だとかよりももっと振り返らなくてはならないことがある。

U13リーグ時代、リーグ1stは小柄で、まだ力が足りない面子でゴールが果てしなく遠かった。
敗戦の方が多かった。

しかし、2stはそれらの敗戦を見事教訓にし、負けないチームに成長した。
一つの試合を最初に落とさなければ昇格していただろう。ただ、決して昇格して当たり前の選手達ではなかった。
最初のスタート地点を考えたら、史上最弱チームに並べても疑いもないレベルだったと思う。

しかし、メンバーは短期間で成長した。TRMでも勝利することの方が多く、負ける方が珍しくなった。

潜在能力はある程度はあるのだろう。

あれからU14での一年間、何をしていたのだろう?

そう、まず、あのメンバーが全員揃って試合はおろか、練習を1シーズン通してまともに一緒にしたという記憶はない。これが現実だ。それも短期間の話ではない。

極端に言ってしまえば、一度クラブをそれぞれバラバラに離れて解散し、今も尚、全員が揃っていないという感じ。

その留守の間、後輩達に席をなんなく譲って、戻って来ても席が見当たらない。そんな感じではないか?

クラブユースの結果はまず、相手のレベル云々というよりも、まず、3年が不在であり過ぎ。

骨折、靭帯損傷、等々直ぐに復帰できるような怪我ではないからまた、苦悩。

一人が復帰すれば、二人が怪我、その他色々な問題をこしらえて、練習メンバーから外れたりと
とにかく安定しない。

挙句にはクラブユース前のTRMではカビトンまで怪我をし、結局、クラブユース出場していない。

ようは、数週間の話ではなく年間通してあのU13で急成長した時のメンバーが未だに集合して、一緒に試合はおろか、練習さえしていないという現状だ。

もし、3年が揃った上で2年、1年生とポジションを争いをしているのであれば、今の後輩達にも後に残していくものは大きい。
ただ、試合経験は積めてはいるものの、後輩が激しい競争の中で勝ち取っているとは言い難い。

激しい競争が接戦の試合でも効果をもたらす。試合で活躍しなければ、次は控えだから。危機感がある。

しかし、その危機感は今の現状では養えない。

大所帯のクラブではないから、そう多くの代わりがいる訳ではない。

身体の小さな1年に体格の違う3年の大会に出して結果を出せ!!というのは流石にちょっと酷だ。

3年生にとって高円宮が最後の大会だ。

このままでいいんかな?って思うよ。あまり我々コーチ陣が思うほど重要視していないのか?

最後ぐらい、しっかり練習を一緒にやり、試合へのポジション争いをして後悔して欲しくないね。

高円宮が全てではないが、目先の勝負に対して、どう心技体の準備して臨むか?という気持ちはこれからサッカーを続けて行くなら大切だと思うね。

怪我、病気・・・、したくてする訳ではないが、長いスパンで見れば、単純に会社に勤めるにしても、
心身共に今から鍛えておかないと、それははそれで影響をもたらす。

最後ぐらいしっかりやって欲しいよ。

サポートは出来る限りやる。コーチ陣はそれしかできない。試合は出れないからね。
posted by COJB at 14:49| 神奈川 ☀| ジュニアユース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月16日

【子供の人生の航海の旅】

【子供の航海の旅を親がわざわざ遮るのはもったいない】

険しい人生の荒波を子供自らが苦難から乗り越え逞しく生きる。

そんな子供になって欲しい。親ならそう思う人は少なくないだろう。

ならば「私は親として子供の成長を遮っているのか否か?」

子供には学校というものがあるけれど、親には親になる前の学校はない。

親になる資格を得た者だけが親になれるというものはない。
また、親は資格云々で子供を教育するものでもないとも思う。

だから実戦で勉強していくしか方法はない。だから親は皆、「これで良いのだろうか?」と
葛藤しながら、子供と一緒に日々勉強しているものだと思う。

親になった人なら誰でもそう思って日々教育に悪戦苦闘していると思う。

「我々の自分の子供の教育は完璧だ、誰にも何も言わせない」と豪語できる自信家は
中々お目にかかれないでしょう。

自分が子供にとって良い親なのか否かは正直判断できないと思う。

子供の教育は幅広いと思うけれど、きりがないが、一般的によく聞く
「人様に迷惑をかけないように教育する」
願望は、
「やがては自立して一人歩きしてほしい」

どの親も自分の子供がやがて社会の荒波に飲み込まれないよう逞しく生きてほしい
と願っていることだと思う。男なら尚更。

では、そのベースをどの時期に養っていくか。

やはり思春期の真っただ中にいる中学生だと思う。

例えば、
この世の中で一番難しいことは人間関係だと思う。人間の社会で生きている以上、
自分中心で物事が回っていることなどはない。

思春期にもなれば特に、いろいろな誘惑、悩みも出て来る。同世代との人間関係も複雑になり、より力関係が著しくなり、それによって劣等感を感じたりもしてしまう年頃だとも思う。

親が知らない環境で子供同士の社会で色々なことが起こっていると思う。
その子供同士の社会の問題に一々親が介入するのか否か。

そこで、親離れ、子離れというフレーズが出て来る。

どちらも必要になるだろう。親離れは子供が自立して行くための一歩。
反抗期、中学生ともなれば、親と行動をしなくなる。
親と一緒にいるところを友達などに見られるのが恥ずかしくなってしまう年頃だ。
このことを親が、一見、感じたり、ついつい優しくなってしまうこともあるだろう。

しかし、子が親から離れて行くのはごく普通のこと。
だから、色々な難しいことが出て来る。

「反抗期で困る」という言葉を耳にするけれど、これはむしろ良いこと。自立の一歩だ。
反抗期を感じたら親が子にああだのこうだのと言うのをやめて行くべき。
親が色々と干渉しようとすると、却って反抗態勢になる。

未熟なりにも自分なりの考えがある。
生意気な態度、行動かもしれないけれど、自立というものはそもそも親の言いなりにはならないことにもつながる。親は我慢の時期に差し掛かる。
親は子供に嫌われるのを恐れる必要はないと思う。
会話がなくなるのを怖がる必要性もない。
特に男なんて、そんなもの。口数少ないし、喋らない方が普通。

やがて、大人になって行くにつれて、口には出さないが、親が自分にしてきてくれたことを感謝する時が来るはず。
社会の荒波に揉まれて、色々な経験をすることにより、親の尊さも理解するようになるだろう。それがいつになるか判らないから親も辛抱なのだと思う。

結婚でもして、子供でも授かれば尚更。親の気持ちがここで実感する場合もあると思う。
子育ては辛抱、我慢の連続だと思う。親もまだ人として子供を通じて勉強していることになる。

だから、中学生時代で親が子供にしてあげるべきことは、弱音を吐いている子に「頑張れ!!」と背中を押してあげることであり、なんでも守る、手を差し伸べることではないと思うのだ。

子供が学校やクラブ活動で嫌なことがあったと悩んでいるならば「行きたくなければ行かなくていいよ」ではなく、
実際にどのようなことになっているのか?を親も子供と一緒に学校やクラブを訪れて事実を確認する必要があると思う。

子供のことだけを一方的に聞き入れ、学校やクラブ、先生や仲間などを悪者に仕立て上げてしまうこと自体、親がそこで解決してしまってはいないだろうか?

「君は悪くない社会が悪い」「君は悪くない仲間が、先生が、指導者が、学校が悪い」

親が子に手を差し伸べる時、そのタイミングを知る見極めは必要だと思う。

タイミングを間違えてしまうと、子供が自ら立ち直るきっかけを奪ってしまいかねない。
ただ、これは割と難しいのかもしれないが、できることなら、
本人が親にコメントしたように、本当にその環境で行き過ぎたことがあったのか?子供にも非がなかったのか?そのようなことがあるのであれば、話し合いの場によって解決する場合も大いにあると思う。それに向き合わない環境であれば、それはやむを得ないケースもあり、親がサポートするしかないだろう。しかし、そのことさえ行動せずに、勝手な思い込みで
その場を去ってしまった時、やがてまた、同じ場面に遭遇した際に、また環境の責任して
その場を去って行ってしまうのだろうか?
その子はずっと社会の責任、環境の責任にして、自分を振り返ること、改めなくてはならないことに気付かずに社会に出る。

やがて、結婚し子供を授かり、今度は自分が親になる。

そして、子供を教育している中で、やがて自分と同じようなことが子供にも遭遇した時、また、子供にも同じことをするのではないだろうか?

周囲が一緒になって向き合ってあげることは良い。しかし、解決してあげることではない。

自ら立ち直る免疫がない親が子供に立ち直らせる術を伝えられるはずかないと私は思う。
自分が術を知らないのであれば相談も必要だろう。
それは決して恥ずかしいことではないと思う。絶対に正しいというものはないはず。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という人がいるが、その通りだと思う。

今後、子供が社会の荒波に入り込んだ時に、このような経験は実戦として役に立つはずだ。

大人になればなるほど、人間関係はより複雑になる。
中学生ともなれば、その複雑な人間関係の免疫を作れる最高の場でもある。
親が子供を家庭から一歩出した瞬間から、子供は社会への航海の旅に出かけている。
子供が学校で、どのような存在でどのように人と接しているのかもこと細かくは判らない。
嫌われているのか?人気者なのか?普通なのか?仲間はずれになっているのか?人を仲間はずれにしている立場なのか等。

苦しい人間関係は中学でも高校でも立ちはだかる。

これも社会に出た時のための訓練だと思う。

子供の人生経験としてクリヤしていくには、最高のシチュエーションであったかも知れない。

一緒になって向き合って考えてあげる環境は必要だと思う。しかし、親が先に出て行って
それを解決してあげることではない。

解決するのは親ではなく子供自らしていくものだ。それがたとえ長い航海であったとしても。

目先の航海の旅であれば、それはそれでいいのだろう。

しかし、この先、本人は勿論のこと、
親にも判らない、子供の険しい荒波人生が待っているかもしれない。
人生の航海の旅を親自らが遮ってしまい止めさせてしまうのはあまりにも勿体ない話だと思う。
何が正しいという訳ではないが、「できれば逞しく生きてほしい」と願うのはどこの親も一緒だと思うから
posted by COJB at 14:40| 神奈川 ☁| ジュニアユース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月10日

【ひとつひとつ地道に乗り越えて】

COJBスクール生からJr.ユースで3年過ごしブラジルへ人生の1つを挑戦している
3期生吉野裕太郎のコメントで感じるもの。

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「こういった環境で出来ているのも、今まで支えてくれた方々のおかげだと思っています。
今その恩返しが少しですが出来ているのかなと思います。
でもこれからも試合に出続けるにはもっと精神力を鍛えないといけないです。
どんな状況でも自信と集中力があれば、多少技術が劣っていても戦え抜けると俺は思っています。
自分が試合に出続けられているのは、どんな試合でも最後まで走り抜くこと
、守備を怠らないことを徹底しているからだと思います。いわゆる便利屋です。
サボりがちのブラジル人の分までアジア人が頑張っていれば、監督としては使い勝手のいい選手として捉えるでしょう。
自分としてはキツイですけど、試合に出続けられるのなら苦にはならないです。最後までやり続けるつもりです。
ただ自分にはまだ前に出る強さが足りない。
勿論、得点やアシストなど目に見える結果も必要ですが、もっと根本的な自分で試合を組み立てる力が必要。
グアルーリョスの中盤が試合を作らないとこの先、勝ち続けることは出来ないでしょう。
通用する技術はある。後は攻撃に体力を残せる要領とミスを恐れずたくさんボールに絡めることができれば、
もう一つ成長出来るかなと思います。
今はただ働きみたいなものですが、結果を出し続ければ、自然と後から付いてくると思うので、それを待つしかないです」


海外でプレーした時、外国籍選手としての特徴を存分にアピールしない場合、当然、現地の選手を優先に監督は使うでしよう。
吉野のコメントしている「便利屋」、確かに初戦はセンターバック、2節はサイドバック、3節以降はヴォランチ。本職はヴォランチなだけにその本職で、厳しい試合を2試合勝利できたことは大きいと思う。

監督に与えられたポジションをありがたくまっとうする。時に、専門以外のポジションを指名された時に「やってられないよ」とプライドが先に走り、出場を拒む選手はいるが、吉野はそれを喜んでこなす人間性も兼ね備えているといえる。

それが、監督の信用にもなっているはずだ。

嫌なポジションでもしっかりまっとうすれば、彼のように結局は自分のポジションが与えられている。

現代のサッカーにおいて、ひとつのポジションしかこなせない選手は完全に不利に働く。

「ここしかできない」というならば、その場所で、完璧にプレーしなくては次はない。

マルチにこなせれば、いきなり控えに回ることはない。吉野の場合、言葉のハンデも克服してきているので、困らない。

要は、チームにとってマイナスどころかプラスに働いている。これはプロとしては大切なこと。

チームにとってマイナスに働く選手はもはやそのチームにとっては損害でしかないからだ。

あくまでも、そのクラブで、そのクラブのために全力を尽くす。これがプロとして最低限の心構えだと思う

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(吉野裕太郎、中学1年生時代 後列右から2番目)
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(20歳になった吉野裕太郎)

posted by COJB at 13:19| 神奈川 ☔| ジュニアユース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月08日

【スクール生日記】特別スクール編

日曜日、自分の所属クラブの練習がない時、Jr.ユースが練習の時にスクールからただ一人だけ
参加している5年生の子がいる。

素直で良い子。柔らかいタッチも持っている。
しかし、大人しく、性格的にはやんちゃ坊主タイプではない。どちらかと言うと優しく包んであげたい
ような雰囲気のタイプ。

所属クラブでは、スタメンメンバーではないようだ。

スタメンになりたいのだろう。もっと巧くなりたいのだろう。

だからスクール以外の日の月曜日、週末も参加してくるのだろう。

一人、物怖じもせず、練習に参加する。
気持ちが伝わってくるだけに強くさせたい。そんな気持ち。

ここに通って来ている以上は、所属クラブで不動のスタメンになって貰いたいものだ。

Jr.ユースの練習は、スクールの練習とは比較ならない。ましてや、5年生には相当きついと思う。

スタンダードの基礎から試合の距離感、遭遇しそうな場面を想定した基礎、そして、それを試す
ゲームで締めくくるのだけれど、

この小5の子に要求するのは、積極性。パスばかりに逃げず、中学生に勝負を挑む。

奪われても自ら奪い返しに行く、中学生のボールを懸命に奪いに行く。

跳ね返されてもまた、立ち上がり、また奪いに行く。この姿勢を身に着けて貰いたい。

そんなことをできる子が、果たして所属クラブコーチの目に留まらないだろうか?

そんなに凄い子が集まったクラブなら別だけれど、何かが足りなくてメンバーになれないで
いるのだろうから、このようなことをCOJBで身に着けていけば、必ず評価して貰える時がくるはずだ。

だから、まずそれを実行すること。

不運なのか幸いなのか彼のチームが5失点差で負けた。

新横浜の多目的グランドの大周りを2周、更にチェーンジャンプを5往復。

散々、練習した後に、最後の敗戦罰ゲーム、相当キツかっただろうね。泣きながら走っていたよ。

毎日、毎回のことではないから、怪我には繋がらないだろうけれど、人が変わるきっかけ、成長するきっかけ
はどのようなところから生まれるか?

平凡な環境下では中々生まれにくい。

親が、そのような環境にある意味、言い方は乱暴だけれども、放り込む勇気も必要だと思う。
ライオンの親は可愛いわが子を千尋の谷に突き落とし、そこから這い上がって来た子だけを育てるがごとく。

何でも守られてしまっている社会だ。小学生からたまには苦しい経験をさせるのも、その子の成長を
考えれば大切だと私は思う。

自分をどう表現し、アピールしていくか?知っている子は知っている。知らい子はずっと気付かないかも
しれない。

それを気付かせてあげるヒントはあっても良いのではないかと思う。

涙を流しながら苦しさに耐えて来た子が、やがて、逞しく成長した時は嬉しい。

それには継続をすること。途中でやめたら意味がなくなってしまう。

ブラジルで厳しいプロ社会で奮闘している吉野も、この特別スクールからJr.ユースを経てプロに到達している。可愛いわが子を、ブラジルという日本とは比較にならない治安の国に中学を出て直ぐに突き放す親の
勇気、まさにライオンの話の例えに匹敵すると思うし、吉野は谷から這い上がって来たライオンの子の
一人なのだと思う。

サッカーを楽しみながらも厳しさから逃げない。挑戦する勇気、諦めない。この姿勢が大切だと思う。

諦めたらその先に良いことがあっても気付かないで終わってしまうから。

サッカーの巧い下手はこの際、関係ないのだ。気持ちが身体や心を変える。そんな子がこれからの日本にも
必要なのではないかな。

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(吉野の中学1年時代、一緒にブラジルで戦った森大地と仲間たち)
posted by COJB at 14:10| 神奈川 | ジュニアユース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

【育成年代に緻密な技術を持ってもらう】


毎週月曜日に特別練習『今野塾』がある。

今野塾の主旨はサッカー的にはフンダメント=基礎、プロテージ=防御

何をしているか?というと、『個』の基礎技術を鍛える場、自分の基礎力を確認し、改善する場。

「俺は基礎ぐらいできている」と思っている者が自分の基礎力のなさを知る場。

プロテージは身体を巧く使って敵からボールを守る技術、いわばキープ力を上げて簡単にボールを
失わないことに繋げていく。

この塾の年齢層は下は小4から上は20歳としているけど、通常は中3までが殆ど。

時に高校生、プロを目指す20歳前後も参加する。どの年代だろうが、いい加減な足先のプレー、精度に
拘りを見せない者には容赦なくしかり飛ばすことがある。目指しているものが上であれば上であるほど、
技術の精度が要求されてくることを理解していない者が多すぎるからである。

セレクション等、人から人選されて行くような場に行ったとき、結局、目立つのは、身体能力の高い者、
体格がある者。しかし、それらもいざボールに触れた時に技術が低ければプロという高い技術レベルを
要求する場では流石に通らない。この時にしっかりとした確かな技術があれば、持って生まれた才能に
花が添えられる。身体能力任せで地域クラブで通用してしまったばかり、大切な基礎技術を怠り、
上に挑戦した者は、自然に選考から漏れてしまう。

しかし、己がなぜ選考に漏れてしまったのか?という根本にたどり着かないので、解決せず、どんどん年を
とっていってしまう。天分だけでサッカーをして来た者が指導者に転向すると、技術の大切さは頭では
解ってはいても、細かくかみ砕き、何も解っていないこれからの後進に伝えることができない。

「なぜコーチはキックが飛ぶのですか?質問されても「思いっきり蹴れば飛ぶようになる」としか言えない。

生まれながらの才能だけで高校、大学までそこそこやれてしまったつけが後で回ってくるのだ。

基礎という根本を軽視してしまうと、足先でサッカーをしてしまう子がますます増えてしまう。

これは日本のサッカー界にとってみれば、深刻な問題だ。

「日本がアジアではトップレベル」ということで、育成が世界基準に向けて良い方向に向かっているか否かは
もっともっと育成の底辺を視て周れば現状ははっきりしている。

妙な足先プレー、不格好で安定しない胸トラップとヘディングだけを見ても危機感を覚える。

重心の高い(腰の高い)身体のデカい者が、力づくで小柄な選手をなぎ倒すようにドリブルで突進できるのもその時だけ。

選手層が薄い日本、育成年代でしっかりとした技術を反復していないから、真剣にサッカー選手を目指して
やれる選手は限りなく少なくなってしまう。何故なら「自分が通用しない」と高校の2年生あたりから薄々感じてくるからだ。
中学までは、みんな将来の夢は?と聞くと「プロサッカー選手」と答える。なのに、高校を出ると、なぜか
20名いたうちの20名が「プロ」と答えていたのが、本気で目指そうと貫いているのはいて1〜2名に減る。

基礎をしっかり教わり、受け入れて反復してこなかった代償でもある。

基礎とは、試合で遭遇するあらゆる場面で必要とする基礎である。

試合中、知らず知らずに無意識にトラップ、バス、ドリブル等を繰り返していて、無意識に成功、ミスを繰り返して
いるはずである。自分が、試合中にどれだけトラップ、パスミス、ボール損失を繰り返しているか?など数えては
プレーしていない。パスと言っても、ゴールに向かったパスを何度成功しているか?など、よほど決定機にならない限り
も覚えていない。せいぜい「だいたいこれぐらいだろうな」ぐらいだろう。

例に挙げると、あのバルサやレアルの選手達が、寸分の狂いもない、パスの精密機械のような時に鋭く、速く、強弱がコントロール
され、しかも、トップスピードで動いている選手にぴったりと合わせ、平らな芝生のピッチは這うように伸びるパスを
いとも簡単にコントロールしている、また、そのファーストコントロールは次の動き、味方の動きを確認した上で
コントロールされている。また、背後から来るロングボールをピッタリと吸収し、ゴールに向かえることの根拠は
どこにあるのか?それは紛れもなく育成年代から厳しい環境で、その技術や勝負の厳しさを要求される環境にいて、あのプレー
に繋がっている。

彼らも国は違えど同じ人間だ。器用な日本人ができないはずがない。

物づくりに関して日本人の拘りとその精巧な技術は世界が認めているばす。日本人は本来、精度、緻密さに拘る国民なのだ。

サッカーにおいては、それを知らない、気付いていないだけだと私は思っている。

パススピードに応じて、ボールが自分のところへ近づいてくればくるほど、上体は落ち、構え、止めるというよりも
しっかりと収めて次の動作がボールと一緒に出るため、マークを容易に外しているのも窺える。

これは、ブレのない正確なコントロールと次の動作がワンセットになっていることを意味する。

あのような緻密な技術はなにも戦術から生まれているのではない。戦術の前に、選手各々の持つ、精密な技術、所謂
基礎と彼らが持つ創造力があるために美しいフッチボールが生まれていると言っても過言ではない。

この緻密な技術は、プロになって得たものではない。プロで磨きはかかるが、ベースはもっと遡った年代で
徹底的に繰り返して来ている。

育成指導者が、ボールもろくにコントロールできない選手達に、バルサのサッカーをやらせようとしても無駄な事である。

トップスピードの中で、いかに正確なパス、コントロールができるか?というテーマはどの指導者も知っているし、

「基礎が大切である」ということは、5万人指導者がいて、5万人が否定をしないと思う。

しかし、では、一体、そのバルサの選手達が試合中に繰り返している緻密な技術はどのようなものなのか?だ。

彼らはパスをする時、コントロールをする寸前は、殆どボールを見てコントロール、パスしていない。
味方の動きを見ながらプレーしている。しかも、あのぐらいのレベルになると、お互いプレッシャーのスピード
が異なり、物凄く速い。その中であの緻密なプレーをしている。


サッカーというスポーツは野球と違い、ご存じのように手ではなく足でボールを扱う競技なので、野球よりも断然、
下を見てプレーすることが多い。下を見てプレーするのはごく自然だが、その中に一人、上を見てプレーできたら
どれだけ有利だろうか?

逆を言えば、下を向いている時間が長ければ長いほど損をする。

サッカーはパスした回数で得点が入る競技ではない。限りなく、少ない本数でゴールができた方が有利だ。

しかし、下を向く時間が長ければ長いほど、相手DFや味方の動きが把握するのに時間が掛かる。

コントロールに時間を掛ければ掛けるほど、相手DFは陣形を整えてしまう。

ヘッドアップして、遠くが把握できていれば、近くしか見ていない選手より有利なのは言うまでもない。

あのような狭いDFとDFの間を細かいパスを通すのに、一々ボールを見てコントロールしていたら、判断と動きの速い相手
DFはすぐさま足を伸ばし、カットどころかインターセプトして、ボールを奪い、カウンターに繋げる能力を持つ。

ボールを限りなく見ないでコントロール、パスが出来るのは有利に働く。

それには、日頃の訓練が必要だ。フリーキックにしても、普段単にボールを蹴っているだけでは、FKという壁やGK、しかも
あの狭いゴールの隙間に入れることはできないのと一緒だ。毎日、意識して繰り返すこと。

その意識が、試合での無意識になる。

フェイントも同じ。いくら、相手なしで20種類のフェイントを持っていても相手ある中で、果たして20種類のフェイントを
全部使えるだろうか?まず無理な話だ。「次はどんなフェイントで相手を抜こうかな?」ってタイトな試合でそんな余裕があるはずがない。

またそのフェイントが能力の高い相手に通用するかも判らない。しかし、毎回、何度も何度も相手をつけて意識して繰り返している
フェイントは試合中、意識なくして無意識に反射的に出るものだ。

これは、パス、ボールコントロールも一緒。ただ、日本の育成年代の選手達は、あまり地味なことを反復することをしない。

いや、していないので試合を拝見していて判る。それはU12、U15、U18と全ての育成年代のカテゴリーに言える。

パス練習はしている。しかし、ヘッドアップしてパス練習をしている人は限りなく少ない。

しかし、このやり方は、正直、日本で販売されている『サッカー入門』の教えとは正反対のことを私は伝えている。

サッカー入門では、パスする時は、立ち足をボールの真横において、しっかりとボールを見て蹴るとあった。

注目すべき点は「しっかりとボールを見て」だ。私は「ボールを限りなく見ずしっかりと芯に捉える」ことを強調する。

サッカー入門はあくまでも『入門』なので、初心者向けのアドバイスと受け止めてはいるけれど、入門を読んだ人が、
やがて年齢を重ねてもその基礎の理念があるとしたらそれはどうかなと思ってしまう。

またその人が指導者になった時に、スキルアップした子供に「もっとボールを見て蹴りなさい」とアドバイスしていたら
まずバルサの選手達の技術には近づかないと思う。

長くなってしまうけれど、私は日本の育成年代の選手達の胸トラップやヘディング練習や、試合前のアップとかを
拝見していて、物凄く違和感を覚えてしまう。
基本的に、腕と胴体が密着したままトラップをしている人が多い。

「いわば、止まればなんでもいいんじゃないの?」と反論の言葉もありそうなものだが、果たしてそういうもりだろうか?

腕を胴体につけたままだと、余計な力が入る。脇を広げ、腕を開くとおのずと、胸に当たる範囲が広がることに気付く。
閉じたままだと、範囲も狭く横にそれやすい。

極めつけは後方の相手が躊躇なくインターセプトを狙ってきやすくなるが、腕を広げていると相手は容易に後方から
入ってこれなくなる。

このような一つ一つの意識が技術の安定感に繋がっていく。
ブラジル人の例を取っていうならば、そのような技術を必要な時に応じて、使いこなせることができるということが、27年間ブラジル
サッカーと付き合いさせて貰ってきた結論。フンダメントとプロテージなくてし、ブラジルサッカーで日本人が成果を
あげるのは難しいといってもおかしくないほど、彼らの技術は日本人の物を作っている職人さんと同じ意味がある。

胸トラップでもう一つ感じることは、これも必要に応じて、ジャンプして吸収することによって
ボールがソフトにコントロールが出来、更に次への一歩も早くなる。これも非常に画期的だ。

止める、蹴る、出す、出るという動作がすべワンセットになっていて、コントロールにロスがない。
おまけに判断のスピード、フィジカル的なスピードがブラスアルファになってる。

どうりで、年間800名の選手が海外に輸出されている訳だ。日本で言う、ホンダの性能高いエンジンが輸出されているのと似ている。要は、性能が良いということ。

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(本文とは関係ありません)
posted by COJB at 16:26| 神奈川 ☀| ジュニアユース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする