2006年09月20日

【恵まれていない子供達が集まるサッカースクール参加して】


普通に生活できる国で育った子供が、一方そうでない環境例えば、冷蔵庫がない、勿論1人部屋などお洒落なものはない、コンクリートの上に汚れたマットを敷き兄弟が寄り添って寝る。

学校は市が運営している授業料がない学校に通い、三度の食事どころか二度もまともに摂る事ができない
家庭の子供が集まるスクールに日本の子供達は参加した。
4名は何を感じたであろうか?

ある意味、将来の夢、目標は世界共通だと思う。しかし、その目標をどうしても達成しなくてはならない理由の度合い、これは自分のためだけでなく、子供達の家族の生活をも見据えた目標。
「自分はサッカーが好きだし、できればプロになりたい」という「できれば・・・」という曖昧な言葉は前者にはない。どうしてもならなくてはならないのだ。

人間、どうしても手に入れなければまともな生活(三度の食事を摂れるもの)ができないという環境に身を置くと、どのようなことを幼少の頃から考えていくのであろうか?
大人がとやかく言う必要はない。生きるために自分で物事を考え行動していかなくてはならない。

彼らには「研修」なんていう猶予はない。
彼らからサッカーを奪ってしまえばたちまち麻薬、窃盗など犯罪に手を染めてしまう環境にいる。
だから周囲の大人が働きかけて、サッカーで人間形成を図る。
ブラジルにはサッカーに掛けては特に優秀な才能を持った選手が多い。しかし、その優秀な人材の中からさらに生活の安定を求めるべく、頭一つ出ようと考える。例えば、監督やクラブ役員に好かれる。
媚を売るというものではないが、ブラジル人特有のジンガ張りの対応で何か特徴をアピールするために自分より立場が上の人間に対して、自然に本能として対応を覚え可愛がられる。一方、勿論その逆もいる。しかし、そのような人材はよほどの突出した能力を持っていなければ、持ち上げられず、才能あるのに劣等組みの渦に消えていく。

子供の頃から環境により、このような術を身に付けていってしまう。優れた環境から一つ頭をだしていく術はスポーツの世界に限っても大切だと思う。貧困から脱出するために子供は考えるのだ。
また貧困でなくても貧困な環境で戦って来た人間と戦い、中流の生活をする子供も負けじと戦い強くなる。
それがACミラン、元サンパウロFCの生え抜き、「カカ」がその一例だろう。
日本人は皆が普通過ぎるのかもしれない。サッカー選手にならなくてはならない必要性の度合いが大きく違うのかもしれない。単なる夢なら挫折したら諦める、その道から逃げることだって出来る。

しかし、生活にそのまま直結してしまえば、簡単に逃げることは出来ない。
要は、貧困から這い上がらなくてはならない人間、一方貧困ではないが貧困な人間と同じ目標を持ち同じ環境で競争する。サッカー自体の能力プラス、監督、クラブ関係者、代理人などから好かれるための営業能力なども含めて。

このような根本を今回子供達に伝えるには時間が足りなかったが、紛れも無く自分達より生活環境が不備でありながら明るく、眼が輝いていたということだけは伝わったのではないか。
前日、サンパウロ戦で足の調子が悪かったRは「痛い」といいながら、積極的にコーナーキックを蹴りにいったりして目立っていた。「あれっ、お前足痛いのではなかったっけ?」R「んっ、少し痛かった」
コーチ「その割には積極的だったな?」R「・・・・」
この恵まれていない子供達が集まるサッカースクールに今後も何かで関っていきたい。

お願いですが、使わなくなったサッカー用具、私服で捨てようと思っている方々、事務局やコーチ陣に一言声を掛けて頂けると大変ありがたいです。私がブラジルへ行く時にこのチームへ持っていきます。現地では大変喜ばれると思います
posted by 少年サッカー at 08:49| 神奈川 ?J| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々のブログ