2016年09月29日

中学生は難しい年代

今回は、ジュニアユース、中学生年代について書こうと思います。

文字通り、中学生は小学生、高校生の間に挟まれた年代です。
そして最も教育をする上で難しい年代であると思っています。

私は、中学生という年代は大人になって行く上でのベース作りの年代だと思います。
個人的には15歳以上のサッカーを目指す若者と長年接してきましたが、中学卒業した若者と、高校を卒業してきた若者との接し方はやはり違いました。

そして、今はサッカーを通じて、特に中学生を10年間を見て勉強させて貰っています。

個人的には、もう少し遡って小学4年生のまではいかなくとも、5,6年生+中学3年間の若者を継続して指導させて貰いたいという気持ちはあります。

何を指導させて貰いたいか?といえば、サッカーの技術はそうなのですが、そのサッカーというものを極めていく上では、やはり、若者が各々持っている、内面の部分、
精神的な部分にもっと触れていきたいと思っています。何故なら、何をするにも、気持ちがなければ続かないからです。

現時点でのサッカーのセンスがある、ないではなく、まず、心の強い人間になって貰いたい。

『サッカー選手になりたい』と夢を持つのは大切。しかし、実際にはその夢と、自分の日頃している言動と行動がその夢を達成するという姿勢になっていない若者が大半です。

私のチームのメンバーは決まって各指導者から「気持ちがない」「試合に入る準備ができていない」「サッカーの練習だけでなく、準備から片づけ、整理整頓もしっかり」とまるで、
家庭では母親が毎日「起きなさい!!学校に遅れるわよ」「支度はできているの?」「勉強をやらないならサッカーやらせないよ!!」と言われていることを同じようにサッカーに来ても言われている。
おそらく、学校でも同じことを言われているものと思います。場所は変わっても本人達自身は変わりませんから。

しかし、サッカー選手を目標にする人が果たして一々人に言われて行動するでしょうか?
一度言われてしまったので恥ずかしくて二度同じことを言われることはないように気を付けるものです。

夢、目標を持つということは、何も見つからないよりはよっぽど幸せなことです。
また、その目標を掲げて日々行動すれば、必ず将来役に立ちます。

話が少し飛んでしまいますが、私のチームの中学生にとにかく、何度も何度も指導者に叱られているメンバーがいます。サッカーのセンスはまずまずのものがあります。
多少負けん気もあります。
本人がサッカーが大好きなのも窺えます。しかし、試合中、必要でない場面で、必要としないプレーをして、チームのリズムを崩してしまうことが多々あります。
また、日頃の練習でも練習参加率はかなり良いものの、雑な技術は相変わらずです。

本来であれば、練習参加率が高く、センスもまずまずで、基礎という基礎を徹底されてアドバイスされて、見本までしっかりと目にしているのですから、
上達は誰よりも早いはずですが、この面に関してはどうも進歩が見られません。このような人に多いのは、その場にはいつもいる(参加率は高い)のですが、注意力が不足しています。
必要のない所でマイペース、頑固という自らの成長を時に妨げてしまうという原因もあります。
まず、人のアドバイスを聞く姿勢と、謙虚さ、助言者の言っていることが理解できないのであれば、質問する勇気も必要です。
一度聞き入れて実行してみることも必要でしょう。人のやっていることを見る、観察する、聞く、周囲に注意を払うという姿勢は生きていく上でも大切なことと思います。

コーチ陣は彼にアドバイスしています。
「サッカーはサーカスではない、よりシンプルにその場面に適したプレーをしてチームに貢献できる選手が上のレベルに行っても指導者から使ってもらえる選手。
ボールを必要のない場面でこねくり回し、時間ををかけているうちに相手DFが戻ってきてしまう。ゴールチャンスも失う。遊び心を優先にして、チームの貢献を忘れてしまうなら、
ユース年代、勿論それ以上に行ったときは評価されなくなってしまう」このような話をします。

ブラジルに例えるならば、ストリートサッカーで終わるか、組織に呼ばれてプロになるかということです。
ストリートサッカーは指導者はいません。各々が好き放題、自分の思うがままにプレーします。
良い意味では、技を磨ける、創造力を養える。このストリートサッカーが近年、都市開発により、スペースがなくなり、ブラジルでも面白い選手が出てこないのはこれが原因とされていますが、私が中学生にアドバイスしていることは、このような類のものではありません。

組織でサッカーをするということは、自分の勝手気ままなプレーは許されなくなります。
まずチームに貢献するという基本ベースがなくてはなりません。自分の持つ特長を、チームに貢献しながら発揮すること。これなら問題ないでしょう。

ただ、このことを中学生、特に4月まで小学生だった一年生に伝えてもすぐに理解できるかどうかは個人差があります。性格が時に邪魔をします。
育って来た少年チームのカラーによっても大分違います。
習慣になってしまったものを後で少しずつ取り除いて行くのは容易ではありません。

指導者が指導者のやりたいサッカーで創造力を高めなくてはならない子供達に強制してしまうのは育成的には最適ではないと思いますが、中学生はグランド内外で大人になって行くための一歩であることを忘れてはならないと思います。

普通に、スケジュールも過密になります。大人と変わらないくらい時間に制約がでます。小学生にはあった自由な時間が中学生になると極端に減ります。

身体も厳しくなってきます。正に大人になる前の準備です。

反抗期もあり、特に男子は家に帰宅しても、あまり今日の出来事をこまめに話すケースの方が少ないと聞きます。

本当に苦しいのか?単なる甘えなのか?もっと他に理由があるのか?中々、家でも口を開かないのもこの年代の特徴です。

サッカーの技術は毎日の練習で少しずつは進歩します。しかし、精神的なものはそう簡単に変わるものではありません。

大人は「辛いことを乗り切れば良いことが待っている」と自らの人生経験で知っているので、下からは何も様子が窺えない雲の上の様子が解っています。
しかし、子供は、我々もかつてそうであったように雲の上の様子は未知の領域であり、そのことを大人が力説しても、辛いことに直面している子供には理解できない。

それは一緒に雲の上の様子を見るために子供と同じペースで歩いて雲の上を見る。ということも時には必要なのではと思います。
先の良いものを知っている大人が先をどんどん歩いて雲の上に子供を導こうとしても
子供は中々同じペースで歩いて来ません。また、途中で「腹が痛い」「足が痛い」「疲れた」といい、上を見上げれば雲で覆われていてその先に目標がある、到達すればまた成長できるということは思えません。だから足踏みをします。

一緒とは、ここではサッカーの指導者です。
そして、保護者から背中を軽く押して貰うことです。

結局、辛いながらも雲の上のものを見てみたいと思うか、否かは、本人がどれだけ上を目指したいか?に掛かってきてしまうので、これは本人が自ら乗り越える気持ちにならなければ、難しいものです。

途中で辞めるのは簡単です。しかし、それまでに、最初に「やる」といった以上、やるべきことはやり切ったか?が大切で、それもせずにそこから逃げようとしても、
結局先の人生でまた同じ境遇になった時、また逃げてしまう可能性があるということです。

その時には、子供はもう一端に身体も大きくなっていますし、親の手に負えなくなっていることもあります。その時に家庭内で揉めるよりもできるだけ若い時にぶつかっていた方が良いこともあります。

子供が、単に甘えているか、本当に辛いのか?を見極めてあげるのも、親、指導者、それに関わる周囲の大人の役割なのではないかと思います。

中学生はデリケートです。ただ、デリケートだからと言って甘やかしてしまえば、逞しくはなりません。

中学年代は『一人一人と向き合う』という環境が大切だと思います。

本人、親、クラブのコーチ、それ以外の信頼できる大人が連携を持って一人の若者を育てていく環境が必要なのではないでしょうか?

















posted by COJB at 14:30| 神奈川 ☁| ジュニアユース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月06日

色違いの選手が日本にはもっと必要だと思う

前々から日本代表の本田が「とにかくJリーガーも海外を経験した方がいい厳しい世界だから」とか攻め方云々も大切だけれど、「気合い」「根性」「負けず嫌い」とかが根本にないと厳しい試合には勝てないとコメントし続けていることが、スーッと自分にも入る。
また、代表監督が「日本選手は主張が足りない」「代表に呼んでも『こんにちは』しかコミュニケーションを取って来ない者もいる」とかもはっきりイメージできる。

「主張」と言ってもいろいろな捉え方があるよね。

サッカーはコミニュケーションは絶対のスポーツであるから、どうしたいのか?何がしたかったのか?
どうすべきなのか?自分はこれができる、こうしたいという海外の選手が普通にしていることを日本人はしないということだ。

しかし、これはそもそも日本の教育に遡らなくてはならない問題ではないかな?

黙っていることが美徳とされてきた文化が果たしてスポーツの世界でも必要なのか?と言えばそれは違うとおもう。

何もぶつけて来ない日本選手に対して物足りなさを感じているのか。少なくとも外国人監督はそう感じるかもしれない。黙っていれば確かに監督としてはある意味楽だ。何も言わないから議論する必要もない。

しかし、おそらく今も昔も自ら監督に議論を持ちかけてくる選手は決まった人間なのだろう。

海外経験の長い選手が中心になってしまう。新しい選手は「先輩を差し置いて自分が行くべきではない」そう考え控えめな行動をしてしまう、これが外国人監督からすれば違和感になるのだと思う。

高校などで上下関係がはっきりしている日本の体育会系で育った若者がそのまま日本国内でプロになる。

それもいいと思うが、若くして海外で本当に揉まれた選手が日本に違うカラーを出し、代表を引っ張るくらいのものが欲しい。しかし、中々難しいんだよね、海外で順調に育つのも。大変だ。
大成するまでどうしても資金が必要になるしね。サッカー基金があれば、いずりそのような選手が逆輸入で出てくる可能性があるが、日本人の真面目さ、厳しさを残したまま、海外で培った経験で物おじしない、殻を打ち破った選手が出れば日本代表ももっと活気のあるものになるはずだ。

プロの世界でも実力主義とはいえ、上下関係はついて回るもの。ただ、上下関係が悪いということではなく、
スポーツの世界においては常に前に出て行かなくては勝ち残れないことが多い。

国内ではそこそこやれている選手が海外に行くとサッパリの場合があるが、育って来た環境、文化から新しい文化に順応し難い教育のままサッカーやりにいって、それに合わないのですぐに日本に帰国する選手もいる。

代表になって指摘されるぐらいだ。

問題なのはもっと根底にあると思うね。

指導者の言いなり。

例えばサッカー強豪校、上下関係は勿論、付き人のようなもの、上に従う習慣が身についている。
だから社会人になった時、企業は使いやすい。

しかし、スポーツの世界はどうだろうね?

スポーツが持つ本来の目的は自主的、自律の養いではなかろうか?

「独立独歩で考え、行動できる人間の育成、スポーツは本来人に従う術を身につけるものではなく、自分で切り開く力を育成する活動である」という考えもあり、自分もその考え。

野球界で言えばイチロー、サッカーなら引退した中田。現在で言えば本田もそれに近いかな。

日本ではなかなか出にくい素材だと思う。

日本サッカーは底辺の指導の在り方から改善して行く必要があると思う。

皆一緒のカラーになる必要性はない。組織の規律を乱す者は論外だか、違うカラーがあっていい。

髪の毛を染めることではなく、もっと中身が個性的な選手が育っていかないね。


















posted by COJB at 01:28| 神奈川 ☁| ジュニアユース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする