2017年06月12日

ブラジル遠征2016年を振り返る

遠征で試合する度にいつも感じることを連載形式で掲載します。


遠征1試合目 対 サンベルナルドU16(プロ下部)

40分×2本

0-8(前半0-2/17分、32分,後半0-6/1,9,22,26,28,33分)

リュウキ:ゴリ、トラ、ブラジル人(以下B)、B、カズー、ケイタ、カイト、タクト、横坂、内田

後半リュウキ→トラ(GK)、B→ジュンタ(COJB留学生)、ゴリ(股関節痛)→B
控え/トッチ(怪我)、チャンジ(体調不良)

ピッチはプロリーグでも使用するグランド。観客席もある。

控え通路からグランドに入ると、相手は既にアップを始めていた。よく見ると大分体がデカい。控えのメンバーに「歳はいくつだ?」と聞くと「17才だよ」と。

ユースと組んだのだな。まぁ良い経験で強化には丁度良い。次いでなので、40分ハーフしてと頼んだ。

スコアのように前半は再三ピンチを迎えるも、リュウキの好セーブで、2失点に抑えた。ユースなだけに流石にスピードがあるし、おまけに技術もしっかりしている。

だた、最後のフィニッシュの悪さには助けられた。スペースを与えたら自由にドリブルで侵入されてしまうので、2対1の状況を作り相手のボールを奪うことは前半できていた。

しかし、やはりミスが多い。しかし、このミスも今回ブラジルに戻ってきて改めて解ることが多々あるなかで、やはり日本人プレーヤーはサッカーにおける
コミュニケーション不足は結構深刻な問題だなと思った。サイレントサッカー。黙ってサッカーをする。

少年サッカーでも指導者から「声を出せ!!」と言われると「へいへい」と機械的に声を出す。しかし、そういうものではない。

どうしたいのか?何をして欲しかったのか?ボールを所持している味方に情報を伝達してあげる、例えば後ろから相手がボールを奪いに来ているなら、情報を伝えてあげたり、

逆サイドがフリーならそれを伝えてあげたり「声を出せ」というのもいろいろな状況、種類がある。この点は毎年こっちへ来るとブラジル人の伝達能力、軽率な味方のプレー
に対しての叱咤など、物凄い色々なシーンでの情報の伝え方があると振り返らせられるし、確認ができる。

この面ではCOJBのメンバーは全く出来ていない。味方のミスに対する文句は言っているが、情報伝達にレベルでは決してない。

カイトはサイドでプレーすることが多い、サイドはスペースに抜け出すタイミングが物凄く大切になる。黙っていてもボールが自分のところに飛んでくるとは限らない。

中盤の選手がサイドの声に反応して、スペースに出すことも多々ある。そんな時に黙っていたら折角チャンスなのにボールが出てこない。

その分、チャンスを失う。サイドの選手が自陣でだけプレーしても何も相手に脅威を与えない。相手サイドのゴールラインまで切り裂いて行って初めて脅威となる。

ここだという瞬間にボールを呼べないということは、一つの大きなチャンスを失うことになり、一選手としてのアピールをする瞬間も一つ失っていることにもなる。

サッカーにおいて、試合で動いている最中にコミュニケーションができない選手というものは非常に損をしてしまう。パフォーマンスを半減してしまうものだ。

自分がどうプレーしたいのか?ブラジル人は表現力、コミュニケーション能力が高い。

日本人は何かを持ち帰って身に着けて欲しいと思う。

日本国内で、県リーグに参加したりして、同じ日本人同士でプレーしていると同じようなレベル、
同じようなプレースタイルなため、上で通用する選手になっていくために何をするべきなのか?が中々
気付かないと思うが、折角、世界を肌で感じることができるのだからまず、発見するための
アンテナが欲しいね。

posted by COJB at 00:44| 神奈川 ☁| ジュニアユース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月06日

サッカー留学、『自由』の落とし穴。

日本で高校に通えば、大半は親元にいる。いわば親の監視下にまだあるということ。
地方の高校へ進学すれば、全寮ということもあり、高校で鍛えられながら私生活も一緒に学ぶ。
これも先生、指導者の監視下のもとだ。いわば親代わり的役割。

極端に束縛され、監視された状況下でなくても、自由にはなり切れないという環境だと思う。

一方、海外留学はどうだろう。少なくとも、サッカー留学は自由だと思う。

日々の生活を厳しく監視する人がいないから。

極端な話をするならば、高校には通うものの、言葉が理解できないから、出席はしても、退屈だろう。

言葉を覚えるというストイックで自分に厳しくできる者ならどの環境下でも何かを探して
成長の種を探して努力するのだろうが、自分から率先して何かを見つけ、行動を起こすというような性格でない者は、親や先生、指導者などの監視下にない場合、それは最大の自由になり、緩みになる可能性が高い。

『自由』を手に入れるということは良くも悪くもなるということ。

自分にとって都合の良いことは、あまり良い自由とは言えない。例えば、横着をする。楽をするということ。

それらをしていても誰からも咎められない。自分で気づいていくしかない。

傍に厳しくしてくれる人がいれば、それは幸いなこと。しかし、そうではない環境下であれば、日頃、自分のしている振舞いが、正しいのか否かの判断さえできない。自分にとって普通に見えても、周囲から見れば大分ズレていることもある。自分の中では常識であっても人から見れば非常識な時があるということだ。

また、仮に「正しくない」と否定された時に、それを素直に受け入れる性格であるか?も問題になる。
何故、正しくないのかを紐解いて説明しないと中々理解できない場合もある。
しかし、世の中、そんな奇特な人が自分の周囲に沢山いるかだ。いたら、それは大感謝だと思う。
ラッキーなことなのだ。

大半の親は、息子を海外に行かせて、帰国した時に、サッカーや語学の取得は
勿論ではあるが、人間的な成長に期待していると思う。

ただ、人間的な成長であれば、国内でも十分に成長は可能だ。

だから、海外ともなると、どうしてもそれ以上のプラスアルファを要求してしまう。

中学卒のメンバーと高校卒のメンバーと比較すると
中学卒の面子は精神的な幼さをどうしても感じてしまうのは仕方ないかもことなのしれない。

高卒で行く若者は、日本(ブラジルは18歳で成人)でいう成人になるのは間近だ。

人生の決断をしなくてはならないという危機感は多少なりともある。時間にあまり余裕もないから、近い将来のことも見据えて日頃から行動をしていかなくてはならない。

また、高校卒で行くと、少なくとも、高校の3年間で大人として成長する勉強もしてくる。

「日本で高校に通わなかったのは、海外で夢を挑戦したいから」という中学卒の若者の大半のコメント。
いわば、目標を掲げていると思う。

しかし、夢は立派だが、実際の行動が伴わなければ、まずその夢に近づくはずはない。

伴っていない若者を見ると、どうしても苦言を呈したくなる。

時間は刻一刻と過ぎていく。失った時間は戻らない。人は毎日成長できると思う。

しかし、何も考えず、言葉悪いが、ただ、ボール蹴りだけしていたら。そのボール蹴りも中身のあるものにはならない。

中学を出てから直ぐに海外に発つ若者には、くれぐれもそう伝えたい。

親が傍にいないからと、いつまでも起きて動画をみていたり、朝しっかり起きず、遅刻寸前まで寝て居て慌てて練習に行ったりと、だらしのない生活は悪習慣になる。

そのような姿勢で、目標に近づこうとしてもそれはどうだろう?

周囲からも信用されない。

中学卒で海外に挑戦するのは良いこと。しかし、より心して挑戦することだし、親も覚悟を決めなくてはならないと思う。

親元を離れ、他人の飯を食べるということの意味は成長させていくということ。

決して。他人に甘えに行くということではない。
posted by COJB at 12:20| 神奈川 ☁| ジュニアユース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月05日

【この年代で最も重要なのは心のフンダメント(=基礎)を養うこと】

大切な忘れ物をしてしまうこと、今だからまだ許される年代が、大人になると
中々修正し辛いことも多々あると思います。

COJBは創業からお陰様で22年目になります。

その中に若い人達を鍛え、やがて外に出して、少しでも社会の役に立てるような中身、ハートを養っていって
貰いたいという強い想いがあり、それを貫いて来ました。

なので、子供の成長の芽を摘みそうな親御さん達には、直接話をしたり、聞いたりしてきました。

時には、保護者とぶつかることもあります。

それはそうです。当然のことながら、親御さんは子供の将来を考えている。真剣です。

私達、指導者もメンバーの将来を見据えて指導させて頂いている。同じく真剣です。
それが一致する時は良いですが、

全ての人が一致する訳ではありません。

所属する前に、うちの方針を伝えて納得して貰ってはいるものの、続けている内に当然ズレてくる時もあるでしょう。

その時には、そのズレを少しでも修正するために真剣に話し合いもいています。

正直、私達が若者に対してサッカーを巧くさせても、それが直接、社会で役に立つとは思っていません。

しかし、サッカーというスポーツをやる中で、人間性を磨くこと。
それを若い人達に社会に持って行って貰いたい。社会で通用する大人になって貰いたい。
それが私達の場合はたまたまサッカーであること。

技術のフンダメントは大切だけれど、人生を生き抜いて行くためのフンダメントはもっと大切
だと思っています。

基礎(=土台)の無いうえに、立派な家を建ててもそれはいずれ崩壊してしまいます。

なので、中学の3年間で心のフンダメントを学ぶ。

では一体、心のフンダメントってなんだろう?

仮にサッカー選手になれたとしても寿命は短い。その先の人生の方が長い。

人は、一人では生きて行けないと思っています。必ず、人の支えがあって成立するものだと思います。

サッカーにも仲間がいます、仲間がいるということは自分一人ではないということです。

しかし、とかく子供に限らず大人でも、自分のことしか考えられない時も出てきます。

しかし、まず、自分のことよりもチーム、仲間と活動しているという心を忘れてはならないと思います。

一人が勝手な行動をしたことにより、チーム、仲間が迷惑してしまうこともあります。

そのことを考えられる人間になって欲しいと願います。

サッカーは思いやりのスポーツです。言い換えれば配慮も必要なスポーツ。

仲間に対して、乱暴なパスを出すだけではパスワークは成立しません。受けやすく、奪われにくいパス、丁寧に出すという気持ち、配慮が大切です。

昨日の練習で思いやりを日頃の生活から例えました。

トイレに入ってスリッパを揃ろえて出たら、次の人が履きやすいはず、
しっかり揃えて出て来る人、適当に脱ぎ散らしてトイレを出る人との違い。

このような細かい配慮のできる人は、違う場所でも配慮をしている可能性が高い。

このようなサッカーとは離れた私生活でも改善できることは沢山あるはずです。

いくら私達指導者がグランドでサッカーの技術を熱く指導したとしても、メンバー個々が私生活の中での意識も改善する姿勢がなくては成果にはならないと思います。

仲間を思う気持ち。若者達にはそのような能力は十分備わっているはずですが、単に気付いてないだけだと思います。

そのことを指導者、周囲の大人、仲間が黙って見過ごすのか、その人のためを思ったら嫌われてもいいから
言い続けるのか?
若者達はその環境に身を置くか置かないかでも大分、変わるのではないかと思っています。

COJBの場合、そのあたりを見逃せないから、ぶつかるのだと思います。

これは、心の部分、根っこの部分なのです。正に土台。

いつも話をしていますが、厳しい練習をやっているからには、1つ1つの勝負事には絶対に勝ちたい。
チーム成績は当然取りたい。だから、日々勝っても満足せず、負けたら反省し続けている。

ただ、仮にチーム成績を挙げてチャンピオンになっても、役に立つのかな?と思える時は、強豪私立高校から推薦を貰えること、入学し易くなることぐらいかな。公立希望の面子にはあまり関係ないのではとも思う。

しかし、人間性、心の中身は一生ついて回るし、少しは社会に役に立つのではないか?と思っています。

中学生にも人生において色々なテーマが出て来ると思います。

小学生とは違い、勉強時間も増えるし、小学生の仲間から、また違う仲間になり、難しいくなることもある。

小学生時代とは違い、やることが多くなってくることは間違いない。

なので、中学生は自分の弱さを露骨に出してくる年代です。何故なら、追い込まれることもあるからです。

それを大人は見落として、甘やかしてはいけないと思います。

自分のことしか考えない人は、社会でも敬遠されがちです。これは幼少から今日まで、誰からも指摘されなかったからだと思います。

誰かが、当事者から嫌われるのを避けてきた代償だと思います。

COJBはそれができないので、敢えて嫌われ者になっても、その若者が将来、逞しく、サッカーを通じて思いやりのある大人になってくれれば、また、親になった時にそのことを伝えてくれると思っていからです。

COJBの指導は、所属している時は良いか悪いのか判断できないと思います。

チームは勝ったり、負けたりの繰り返しですから。

しかし、心が育てば、いいままでとは違うものになるでしよう。

技術を教えるのはさほど大変なことではありません。しかし、一人一人違う性格の中で、心を養うのは
容易ではありません。

サッカーを通じて心を養って卒団して欲しい。それがなによりも大切なことだと思っています

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posted by COJB at 15:30| 神奈川 ☀| ジュニアユース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月02日

【木曜日練習参加の重要性】

メンバー間では、『魔の木曜日』となっていることと思う。

「週間でどこに定休日の他に塾をいれたろか」と考えるならば、真っ先に塾を入れたがる
のはやはり木曜日だろう。

しかし、ちょっと待てと言いたいね。

木曜日は「単なる走りだから・・・」と自分に言い聞かせ、都合の良い解釈をして、
休む理由を作る。

しかし、言わせて貰うならば、木曜日こそ、今、メンバーが重点に置かなくてはならない曜日の一つである。

月曜日の『今野塾』も自分でいうのもなんであるが、今野塾くるなら平野塾に行けと言いたい心境だよ。

メンバーの弱い内面が露になる唯一の曜日。あとの曜日は、好きなボール練習がメイン。

精神的、肉体的に追い込まれる曜日ではない。

サッカーは決して楽な競技ではない。

ましてや、これからますます暑くなり、スタミナ戦になることも多い。

OBが高校へ行って口を揃えていう言葉がある。

「走りこんでおいて良かったです」だ。

COJBに比較すれば、高校の練習は軽いと。


設定されたタイムに入れなければ、何度も何度もやり続ける。

「もう無理、これ以上走れないよー」って弱音を吐いている奴に対しても容赦ない。

べそかきながら、泣きながら走っているが、結局最後までやっている。

自分の限界を自分で決める。ならば、こちらが判らせてあげる。

「お前はもっとできる」とね。

限界を作る。中学生はその典型。自分が、ここまでやれるのか?を引き出すのは自分ではできない。

手を引っ張られないと設定タイムに入れない。しかし、やがて、手を引っ張られていた者が、引っ張る側に回る時もある。

大会に口だけ、大きな目標を掲げても、辛いことも、楽しいこともという苦楽を共有する仲間同士で
サッカーしなければ、良い結果などもたらすはずはない。

「あいつ、木曜日参加しないよな」「参加しているくせになんでやらねぇんだよ!!」

「なんであいつ途中で挫折してんだよ」「タイムに入れないならちょっと出てくれ頼む」とか、

うーうー唸り、泣きながら走るなど、もう曝け出るは出るは(笑)

弱い自分が勝手に出てしまう、大切な時間が木曜日だ。

最後まで、まっとうしている者にしてみれば、納得いかないことかもしれない。

では、それに最後までやらなかった面子が、最後までやり続けた者にどう修復して、同レベルになるのか?

どこかで、割り切り、自分を正当化してしまいがち。

U14なんて、一番木曜の参加率が悪いくせに「高円宮ベスト16」が目標。

どこからその根拠がくるのか?だ。

楽して、勝ち取れるほど優秀な面子が揃っているのかだ。

U15もそうだけど、まず、チームの原型を戻せだ。皆、揃って、試合の前に、まず練習せよと言いたい。

なんか自分のことだけになっていないか?

それでチーム成績を取ろうなんて甘すぎるね。

まず、木曜日参加して。己の弱さ、未熟さを知るべき。

人は追い込まれた時こそ本性を現す動物。その時にどう振舞えるか?が本質。

普段、甘いしるばかり吸っている者には、ちょうどよい環境だ。

高校で成果が現れる。

一時の苦しさから逃げる習慣を中学生で身につけて欲しくないね。

中学生年代は運動生理学的にも、一番肺活機能が発達しやすい年代というのは証明されている。

大切な時期に走り込みをしなかった者は、成人になった時にその代償がくる。

精神面、運動生理的にも理にかなった練習であること。

そんな日が週に一度あってもいいのではないか?

苦しいこともメンバー皆で共有することで、仲間意識も出て来る。

苦しいことをやり遂げた時、何か親近感がある。

お互い認めるようになる。

そんな経験をこの年代からもしてほしいね。
posted by COJB at 01:45| 神奈川 ☁| ジュニアユース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする